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葵倶楽部 永津禎三1982-2012展

 葵倶楽部はオーナー大井恵琥氏の祖母の住居であった葵1丁目の古い町家を改装し、2011年12月Cafe/Gallery/Studioとしてオープンしたスペースです。「永津禎三1982 − 2012展」は、この葵倶楽部の第2回目の企画展となりました。

 この展示では、築百年というこの建物の、新しく改装された空間のみならず、殆ど生活していたままの2階の和室空間や、子ども部屋として使用されていたときの壁紙を剥がした、その剥がし跡の残った漆喰壁に家族の歴史の蓄積といったものを感じずにはいられない2階洋間の空間に作品を置くことで、それぞれの空間がより魅力あるものに変貌するような展示を試みました。

 右上の作品は新作の「Turbulence Series; Katagami No.1」で硬質の漆喰壁のような質感の壁面に合わせ、板に卵黄テンペラの素材で制作しました。

 これと同一サイズの作品「Turbulence Series; Katagami No.2」は2階の和室に設置し、こちらは和室に合わせて、板の上に麻布を着せ、油彩と樹脂テンペラでややマットで柔らかな質感としました。

 この「Katagami No.1」に対面する壁面には、やはり新作の「Turbulence Series; J.Duvet No.1」を設置し(右下)、改装された清楚な空間の中で、今回の展示での新作絵画のコンセプトをまず体感していただけるよう試みました。

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 二階和室です。上記のように「Turbulence Series; Katagami No.2」を配しました。

 そして、この布に描いた柔らかな質感に対比するよう、床の間には1987年制作の板絵「UTAKISeries; Karimata 7」を、そして、その手前に琉球漆器の朱塗りの盆、その上に「いいちこパーソン」のボトルにムクゲの花を詰めて置きました。

 鑑賞者は、これだけが設置された作品と思うかもしれませんが、実は、押し入れの襖にも手が施してあります。

 「Turbulence Series; Katagami」で用いた紅型型紙の図柄を、元々あった唐紙の上から雲母刷りしているのです。

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 唐紙に琉球紅型の図柄が刷られていること、そして、この型が「Turbulence Series; Katagami」2作品の下敷きになっている図柄であることにまで気付く鑑賞者は少数であろうとは思います。

 しかし、これに気付いたときには心地よい知的な興奮が得られるのではないかと考え、このようなインスタレーションを行いました。

 葵倶楽部で個展を行うことを決めて二度下見に訪れました。最初の下見の時、二階も展示に用いても良いと言っていただき、この和室の襖に何か手を加えてみたいと思いました。

 すぐに大井さんに相談し、自由に用いて良いと了承していただきました。

 それでも、暫くの間この襖をどのようにするか具体的なプランは浮かびませんでした。

 展示する作品の構想が徐々に確定し、琉球紅型の型紙を基本構造とする「Turbulence Series; Katagami」を2作品制作し、一階ギャラリーと二階和室に置くことを決めました。

 そのエスキスは型紙の模様をコピーで水彩紙に写しその上に描き、本制作のときは、この模様をトレースする積もりでいました。

 ここで、突然、襖の使い方が閃きました。「Turbulence Series; Katagami」は紅型型紙を基本構造としていますが、構造として残されるのは主に橋と水流の模様で、他の松竹梅水草水鳥などの模様は消されていきます。元の紅型模様をどこかで見せたいと思っていたので、一時は型紙も展示しようかと思っていました。

 襖にこの紅型模様を、「Turbulence Series; Katagami」の2作品の構造のように刷れば良いと気付いたのです。

 襖には既に唐草模様が施されていますが、この上から覆い隠すように型紙模様を刷ることにしました。出来れば、元々このような襖だったと思わせたいと考えました。

 それで、雲母刷りで紅型模様を刷ることにし、そのためには、搬入・飾り付け時に手早く刷り上げる必要と、簡便な道具で行えることが必要となり、本来の紅型型紙を作るのが最善ということになりました。

 とは言っても、作品のために選んだ琉球古典紅型の型紙は図柄の所に紙が残り、彫られた所に糊置きして、糊置きされていない図柄の部分に彩色するための型紙ですから、雲母刷りのために、これを反転したものをデザインし直し制作しました。

 渋紙を取り寄せ、20cm四方程の試し彫りをしてみたところ、老眼のため自分で彫り上げるのは困難と痛感しました。

 幸い、附属中学校の非常勤に来ていた仲井眞麻さんが染織専攻の出身ということで協力していただけることになり彫りの作業をお任せすることが出来ました。

 型紙を用いたことで、「Turbulence Series; Katagami」の2作品にもバリエーションが生まれました。

 No.1は板に卵黄テンペラで艶やかで硬質なメチエにしました。刷り上げた型の模様を、下地の卵黄テンペラ絵具と一緒に一度洗うことで、部分的に模様が薄くなったり剥がれたようなところからハッチングを加え、おぼろげなイメージを拾うように制作していきました。

 No.2は板に麻布を着せ、油彩と樹脂テンペラで柔らかくマットなメチエで作りましたが、こちらは刷り上げた模様を壊すこと無く、ただしハッチングのストロークは強くイメージを消していくように制作しました。

 襖への雲母刷りは、葵倶楽部の二階奥の部屋で作業させていただきました。二日かけて刷り上げましたが、当初の思惑通り、元々こうだったかのように仕上がったのではないかと思います。

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 長谷川等伯は、大徳寺の一面雲母刷りの桐文様の襖に山水を描き、文様を降りしきる雪に見立て、自身の水墨画の技量を見せつけようとしましたが、私の雲母刷りはこれとは全く反対に、作品の構造を知らせるヒントとして、まるで以前からそこにあったかのようにひっそりと隠れているのです。

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 二階洋間には、1987年制作の「 UTAKI Series; Karimata 13」と1993年制作の「 UTAKI Series; KIZAHA」の二点の旧作を展示しました。

 この洋間は子ども部屋に使われていたそうで、壁には壁紙が貼られてしまっていたそうです。私が最初にこの部屋を見せていただいた時は、まだ壁紙を剥がしている途中で、大井さんは奇麗にペイントし直しましょうと仰っていました。

 しかし、この壁紙の糊跡が残ったこの状態がとても素晴らしく、絶対にこのままの状態で、ただ剥がし残しの壁紙を奇麗に剥がすだけにしてくださいとお願いしました。

 鏝師が手間をかけて仕上げた洋間の漆喰塗りも素晴らしいものですし、壁紙の糊跡もこの部屋が使用された歴史を強く感じさせる、美しく素晴らしい痕跡です。この壁には傷を一切付けたくなかったので、床置きである屏風作品と楕円作品を配することにしました。

 「KIZAHA」については2回目の下見の時、原寸大の作品コピーを持参し、この部屋との相性を確認しました。

 「Karimata 13」は元々六曲半双の屏風ですが、この部屋に六曲では窮屈でしたので、一曲外し、五曲としました。

 そして、階段を上がって部屋に入る導線に合わせ、向かって左側の一曲の端が奥に下がった状態に組みました。右から二曲目の一曲を外しましたので、右端以外の四曲が従来とは逆の凸凹になっています。

 本来、屏風は両開きに綴じられ、部屋の調度として自由に折り曲げ使用されていたものですから、このような展示も普通にあり得るものと思っています。

 西欧の作家が屏風作品を制作するときはよく五曲の作品を作り、その時は向かって右端の一曲を外す形が多いようです。

 私の今回の展示は左端を外した形になりますから、これとは逆です。先述したように、観客の導線を考慮した結果でもありますが、縦書き右行に文字を読み進める日本的な感性に合わせた展示ということも意識しています。

 「Karimata13」は1988年に丸栄スカイル美術画廊で開催した「方の会 in NAGOYA」で展示した作品、「KIZAHA」は1993年に伊藤廉記念賞展に賛助出品した作品で、ともに名古屋で一度公開した作品です。

 その時の記憶のある方は、今回の展示での、作品の置かれる空間の違い、設置方法の違いによっての作品の変化を存分に感じてくださるものと思います。

 一階和室です。ここは、オーナーの大井恵虎氏がお華やお茶を嗜むお部屋です。そこで、しつらえは大井氏にお任せし、桟に沿って、高木正樹氏の写真作品を展示する、謂わば個展内個展の部屋としました。

 座卓の上には、最初の出会いであるアートイベントwanakio 2002 での高木氏の手記(レポート)や、これまでの高木氏との交友を辿る手助けとなる、wanakioのアーカイブ資料などが置いてあり、これらを読んでいただけます。

 そして、部屋の入り口には、高木氏が次のような掲示をされました。

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「高木正樹写真集」の再展示について

 

 こんにちは、高木正樹です。

 この度、葵倶楽部での「永津禎三1982−2012」展に、2003年に那覇市の桜坂で行った私の写真展を再現したいとのお話があり、有り難くお受けすることにしました。

 永津さんの個展の一角に私の写真展があってよいものか、初めは迷いましたが、彼の沖縄での30年間を振り返る展示にしたいというお話を伺い、確かに2002年以来のおつきあいを考えれば、いろいろな意味でお受けするべきだろうと思いました。

 2004年からは永津さんと一緒に前島アートセンターでSingle Malt Tasting Barを6年半続けさせていただき、今回はここから生まれたハーブ泡盛の展示もあると伺っています。

 写真展を再展示することを決めたひとつの理由には、フォンクベルタ出版の突然の倒産で、出版準備を進めていた私の写真集が刊行できなくなったこともあります。

 また、不思議な縁を感じるのですが、今回の会場である葵倶楽部は、私が東京に引っ越す前、10歳まで過ごした横代官町の家(もちろん今はありませんが)から歩いて3分程の場所だったこともあります。

 小学校5年生の夏に転校するまで私は葵小学校に通い、小川町にあった友だちの家へ遊びにいく時、学校から直行するときは、今は葵倶楽部になっているこの大井さんのお祖母様の家の前を通っていたに違いないのです。

 このような懐かしい場所で私の写真を展示していただけることは大きな喜びです。

 このお話を頂いてから、私は50年振りに小学校や住んでいた場所のある布池界隈を訪ねてみました。

 葵小学校の裏門を出てすぐにあった地球堂が代替わりして今も続いていて、子どもたちが昔と同じようにたむろしているのが嬉しかったし、桜通に面した太洋ビルがまだ残っていて、歩道脇にこのビルの採光用の小さな丸いガラス窓の列を見つけたときは、子ども時代にタイムスリップしたような感覚になり感動しました。

 今回はせっかくの機会ですので、「高木正樹写真集」の再展示にあわせ、この界隈を歩いたとき携帯で撮影した「布池彷徨」と、実家の押し入れから見つけた、おそらくは叔父が撮ったと思われる1960年頃の古いアルバムの写真もご覧いただきたいと思います。

 高木氏の展示内容については、別にまとめてありますので、そちらを見ていただきたいのですが、一点だけその写真作品を見ていただきましょう。

 高木氏が長らく撮り続けている、K氏の削(はつ)り仕事の代表的な一点です。(写真右)

 参加型アートイベントwanakio2002 まちの中のアート展で大学院生たちと取り組んだプロジェクト「生活館」で、高木氏はこの場所の痕跡を採集し、不思議な手記(レポート)を書いてくださいました。(写真下)

 これが私との出会いであり、翌年、wanakio 2003 で高木氏の撮影された写真を紹介した展示「高木正樹写真集」を企画させていただき、ここ葵倶楽部でその再展示をお願いしたのです。

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上の画像をクリックすると高木氏のレポートを読むことが出来ます

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上下の画像は全て、クリックするとそれぞれの冊子を読むことが出来ます

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 座卓の上に置かれていた冊子を全て読んでいただければ、2002年と2003年の wanakio で、どのようなプロジェクトが行われ、そこで、どのように私が高木正樹氏と出会ったのか、分かっていただけると思います。

​ 個展会期中には、なかなか全てを読んでくださる方は少なかったのですが、稀に、全てを読んだ後、部屋の入り口に掲示されていた高木正樹氏の文中に書かれた、「叔父が撮ったと思われる1960年頃の古いアルバムの写真」はどこにあるのですか、と尋ねられます。

 そういう方は、会期中の冬の寒さに耐えきれず、和室から隣の cafe に場所を移して冊子を読んでいらっしゃるので、そこで高木氏とSingle Malt Tasting Barで開発したハーブ泡盛の試飲をお薦めしながら、パソコンのスライドショーになった写真を見ていただきました。

そのスライドショーは、こちらからご覧下さい

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 スライドショーに出てきた、この法被を着て鉢巻をしている一番小さい子、可愛いですね。この子は、実は、私です。

​ えーっ、というのは、こんな可愛い子があなた? ということではありませんね。何か、辻褄が合わないぞ、と言うことだと思います。

 そうです、この写真は、高木正樹氏の家族の写真だった筈です。

そこに、何故あなたが居るの。と言う疑問ですね。

 つまり、高木正樹氏は私なのです。マルセル・デュシャンのローズ・セラヴィのようなもの、実在しない人物を演じていたのです。

 高木正樹氏だけではありません。K氏はもちろん、山本由美子氏もマユミ氏も実在しません。でも、農連市場の削り跡は実在する。

​ この作品は、そういう『捏造』の作品なのでした。

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 実は「捏造」に気付いてもらうための仕掛けはいろいろ配置していました。

 例えば「高木正樹レポートNo.2」。ここで「農連市場痕跡プロジェクト」がそもそも、事実ではない話でもよく、登場人物もそんな話を考えたけれど事実の方が凄かった、というオチになっていました。

 葵倶楽部の和室床間横の小机の上には『秘密の動物誌』と『鼻行類』の単行本が並べて置いてありました。共に「捏造」ものの傑作です。

 会場のそこかしこにハーブ泡盛やハーブいいちこを置きました。

​ wanakio2002, 2003と参加した後、2004年から前島アートセンターで、月一回(第4土日)のバー、Single Malt Tasting Bar Maejimaを6年半開きました。

 そのバー開設1周年記念で作ったのが、ハーブ泡盛です。

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​この画像をクリックすると2004ー2011全フライヤーが見れます

 ロマーノ・レヴィのグラッパを参考に、泡盛の瓶の中に沖縄で採れるいろいろな植物を閉じ込めました。気のせいかもしれませんが、泡盛の熟成が進むように感じます。

 香りが付いて美味しくなるものもあり、養命酒みたいな味になったり、もしかしたら植物に毒性があって飲めなかったり。危険そうなものはラベルに「鑑賞するだけにして飲まないよう」注意書きしてあります。

 葵倶楽部で個展をすることを決めた大きな理由が、カフェ・スペースに綺麗なキッチン・カウンターがあることでした。ここにハーブ泡盛を並べ、試飲していただこうと即座に決めました。

​ 葵倶楽部の個展が2012年12月でしたから、2005年に作り始めた初期のものは、その頃、7年ものでした。

 

 個展に合わせて、この頃かなりの量を仕込みましたから、私のアトリエにはかなりの数の9年もの(もう少しで10年もの)のハーブ泡盛のストックがあります。

 定年退職後、以前の住居を、研究室にあった書籍を収める図書室+アトリエの〈Libraryu & Studio #504〉にリフォームしました。ここのカフェ・スペースでご希望の方には試飲できるようにしようかなと計画中です。

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 このハーブいいちこに閉じ込められているのはムクゲです。

 個展を開催した2012年は台風が多く、このムクゲの木は彫刻室の脇にあったのですが、台風に痛めつけられながら、台風の合間、合間に健気に花を付けていました。葉も少し元気がなく、斑点が出ていたりしていました。これをいいちこに閉じ込めたのです。

 このハーブいいちこを朱漆の器の上に置いてみたら、その傷んだ葉が金箔のように見えました。

 ちょうど葵倶楽部二階和室の床の間に板絵だけでなく、何かを置きたいと思っていたので、ぴったりでした。

 このムクゲの木からは、一階和室脇の廊下に5本組で並べたものも作りました。

​ この年の最後の台風で、このムクゲの木は枯れてしまい、今はもうそこにありません。

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 いいちこの瓶に収まる野草の中で、綺麗に白化した3本です。

 奥から、スミレ、カスミヒメハギ、フェンネルです。

 光の当て方で、さまざまな表情を見せてくれます。

​ 今は、Library & Studio #504の窓辺の飾り棚に3本揃って飾ってあります。

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 葵倶楽部個展の初日には、アーティスト・トークのイベントもありました。

 30年間の沖縄での制作を振り返ることにとどまらず、この葵倶楽部のオーナーである大井恵虎氏とは、受験研究所の同期でもあり、美術を志した18歳からの40年間を振り返ることができました。

 アーティスト・トークの様子と、その時使ったスライドを再構成したショート・ムービーがありますので、ご覧ください。

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