安里進氏の反論とこれに対する私の見解
2022年3月15日、16日琉球新報に掲載された私の「首里城大龍柱 技術検討委への指摘」に対して、安里進氏の反論が、同じく琉球新報に6月1日、2日掲載された。
安里進「ホゾ穴と正面向き 検証・首里城大龍柱」(上)琉球新報 2022年6月1日
安里進「ホゾ穴と正面向き 検証・首里城大龍柱」(下)琉球新報 2022年6月2日
これに対しては、現在、応答原稿を執筆中である。琉球新報に寄稿するつもりであるが、現在のところ琉球新報は「論題がより焦点化され、細かいところに入りすぎてしまうため、読者にとっては必ずしも需要のある議題ではないのではないかと、文化芸能班の複数人で話し合い見解が一致した」と掲載には消極的である。
私からは「論点は明確化し、複雑な議論にならないよう、現在原稿を構想中です。① 何よりもまず、「捏造」「不正行為」と判断したことのお詫びを読者に伝えたい。② 写真の出現により、事実が徐々に明らかになってくること。③ 新聞紙上での議論が萎縮してしまわないようにすること。 以上の重要な3点に絞って書くつもりです。まずは、出来上がりましたら、原稿を送りますので、これを見てご判断ください。」と伝えた。
琉球新報に掲載されない場合でも、研究者の責任として、どこかには掲載されるようにするつもりである。
6月5日に私が会長を務める「琉球美、造形研究会」は、第4回定例研究会を開催した。
この開催挨拶の中で、この安里氏の反論についての私の見解を簡潔に述べたので、「応答原稿」が掲載されるまでの間、「開催挨拶」をここに掲載させていただく。
また、私の「首里城大龍柱 技術検討委への指摘」が琉球新報に掲載された3月16日付で掲載した「解説」については、この「開催挨拶」の後にそのまま掲載する。
第4回定例研究会 開催挨拶
2022年6月5日 沖縄県立埋蔵文化財センター 研修室
会長:永津禎三
ただいまから、「琉球美、造形研究会」の第4回定例研究会を開催いたします。
今回の定例研究会は、出土遺物を実際に観察し検討するということで、初めての対面形式といたしました。
まだ、沖縄県内は新型コロナウイルス感染の蔓延が収まらず、厳しい状況の中にありますので、感染予防への配慮をしていただきながら、遺物をしっかりとご覧になり、活発な意見交換をしていただきたいと思います。
県外の会員、また、会場にお越しになれない会員は、Zoomでのご参加となりますが、この会場はweb対応の全くない施設ですので、Wi-Fiルータを持ち込んでの配信となります。
幸い、琉球大学人文社会学部教授の大胡先生のご協力で機器をご提供いただき、操作までしていただけることになりました。本当に感謝しております。
さて、皆様もご存じの通り、6月1日、2日の琉球新報に、安里進氏の「ホゾ穴と正面向き復元 検証・首里城大龍柱」が掲載されました。私が投稿し3月15日、16日の琉球新報に掲載された「首里城大龍柱 技術検討委への指摘」への反論です。
あくまで私個人の立場で投稿した原稿ですが、本研究会の会長を務めさせていただいている立場でもあり、本研究会、そして本日の発表内容とも関連することでもありますので、簡潔に説明させていただきたいと思います。
私の「首里城大龍柱 技術検討委への指摘」は、(上)(下)に分けての掲載で、(上)は主に絵図に関わること、(下)が安里氏の「戦前大龍柱は欄干に連結していたのか−西村説の検証」についての指摘でした。「戦前大龍柱にホゾ穴は存在しないという事実」の論考手順や方法が通常では考えられないものであり、データの改竄、捏造報告に当たるのではないかと指摘しました。安里氏の記事はこの(下)についての反論です。
安里氏がこの記事の中で、「新たに入手した」東京大学大学院工学系研究科建築学専攻所蔵の写真を公開したことにより、大龍柱のトグロ巻部の背面が写された写真の存在が明らかになり、私が指摘した論拠によるデータの改竄、捏造報告にはならないことが明確になりました。
これについては、研究上の不正(データの改竄、捏造報告)を告発し調査委員会の設置を要求していた沖縄総合事務局と沖縄県立芸術大学に対して6月3日付で告発を取り下げました。琉球新報にも、読者に対して「データの改竄、捏造報告」と指摘した論拠についてはお詫びしたい旨伝えました。
1枚の写真が示す事実に対し、研究者として謙虚な姿勢で臨みたいと思っています。
しかし、安里氏の論考手順や方法が通常では考えられないものであることは事実であり、別の疑義は生じています。
安里氏はこの新たに入手した写真について、ホゾ穴の深さとカスガイ溝の深さの関係から、「欠損部にはホゾ穴はなかったと私は考えている」としていますが、カスガイがホゾ穴の部分でなくその周りの無彫刻部分に嵌め込まれた可能性もあり、報告書で示したように「戦前大龍柱にホゾ穴は存在しないという事実」とは断定できません。
何よりも、ルヴェルトガの写真により王国時代の姿が明らかになり、横向きの大龍柱が描かれた尚家文書(1846年)から1877年までに大龍柱の向きを変えた古文書も発見できないにも関わらず、論理破綻の「暫定的な結論」として相対向きを押し通すことは、1枚の写真が示す事実に対し、研究者として当然の謙虚な姿勢とは言えません。
推測による復元は断じて行ってはいけません。現段階では、ルヴェルトガ写真の示す姿が唯一確実な歴史的事実です。これが「暫定的な結論」となるべきなのは明らかです。
そして、もしも、1846年から1877年までに大龍柱の向きを変えた古文書が発見されれば、相対向きに直し、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻所蔵の写真を詳細に検討するなどしてホゾ穴の存在を証明できれば台石を撤去するという、冷静で科学的な対応こそがとられるべきでしょう。
今回、この定例研究会で、沖縄県立埋蔵文化財センターのご協力のもと、カスガイ跡などが残る出土遺物を直に観察し、西村貞雄先生のお話を伺い、意見を交換できるというのは、このような安里氏との議論の中にいる私にとって、実に有難い機会となりました。会員の皆様にとってもそれぞれの認識を深める有意義な機会となりますよう、期待を持って開催したいと思います。
それでは、西村先生よろしくお願いいたします。
「首里城大龍柱 技術検討委への指摘」解説
2022年3月16日掲載
2022年3月15日、16日琉球新報に掲載された拙稿「首里城大龍柱 技術検討委への指摘」の(下)の部分については、新聞掲載内容だけでは、なかなか理解しにくいと思われるので、ここでその解説を行いたい。
なお、批判対象である首里城復元に向けた技術検討委員会委員の報告資料はこちらで確認していただきたい。
http://www.ogb.go.jp/kaiken/matidukuri/syurijou_hukugen_iinkai/R040130
安里報告資料〈Ⅲ-5、戦前大龍柱は欄干に連結していたのか−西村説の検証〉の検証
安里委員の「報告資料」pp.30〜32には、「Ⅲ-5、戦前大龍柱は欄干に連結していたのか−西村説の検証」がある。
安里委員の論考は、根拠とまではならない史料の記述から推測した事柄を事実であるかのように断定することが散見される。(別稿参照)
この章でもそのような箇所がある。しかし、ここではより深刻な問題に特化して解説したい。
ここで安里委員は「戦前大龍柱には、欄干に連結するホゾ穴は存在しないことが判明した」ので、「戦前大龍柱は、制作当初から、欄干に連結することなく台石上で自立していた」と結論付けた。
私は度々、西村貞雄氏から、熊本鎮台によって破壊され失われた大龍柱の欠損部分のみならず、トグロ巻部の背面からの写真が存在しないため、平成の復元時に大きな困難があったことを伺っていた。
安里委員の報告書にも「これまで、戦前大龍柱の基部背面を写した古写真はないと考えられてきた」とある。
欄干に連結するホゾ穴は存在しないことが判明したのならば、トグロ巻部の背面が撮影された写真が新たに発見されたか、これまでに確認されていた写真の中にトグロ巻部の背面が写っていたのに誤認されてきた写真があったかの、どちらかのはずである。しかし、そのような記述はどこにもなかった。
どういうことなのか、報告書を詳細に見て、私は、p.32の「図3」が間違っていることに気付いた。
図3の「昭和修理後の吽行」(行は形の誤植か)の大龍柱は「頭部〜胴部」と「基部(トグロ巻)」は向きがズレていることが図の解説にも記されているが、「頭部〜胴部」の「正面」は「基部(トグロ巻)」の「右側面」に、「頭部〜胴部」の「右側面」は「基部(トグロ巻)」の「背面」に繋がっていると記されている。
しかし、この「右側面」は「左側面」の間違い、「背面」は「正面」の間違いである。
御庭に向かって正面を向いていた大龍柱は、昭和の大修理の際、相対向きになった。この時、台石に接続されていた基部(トグロ巻部)はそのままに、「頭部〜胴部」だけが向きを変えられたためにズレが生じた。
吽形は御庭から正殿に向かって眺めた時に左側に位置する。それが相対向きにされたのだから、吽形にとってみれば、「頭部〜胴部」だけ、左に向かされたことになる。
これを図解したのが下図「実際の向き」である。
向きを変えられた「頭部〜胴部」の「正面」に繋がるのが「基部(トグロ巻)」の「左側面」、「頭部〜胴部」の「右側面」に繋がるのが「基部(トグロ巻)」の「正面」であることがよく分かると思う。
安里委員の報告書「図3」の図解が、右上図「安里:図3の向き」である。つまり、大龍柱は相対向きでなく反対側、外側に向いてしまい、カメラは正殿近くに置かれた位置から御庭に向けて撮影されるので、大龍柱の背景に正殿は写らないことになる。
安里委員の報告書には、「図3」に使用された元写真のデータも記載されていなかったが、「図2」及び「図3」で合成された元写真の一つは田辺泰『琉球建築』からのものと思われる。この背景を消し、大龍柱だけを切り抜いて使っていた。
この写真の背景には、当然のことであるが、首里城正殿が写っている。
つまり、新発見の写真も誤認写真もなかったのである。
背景を消し大龍柱だけを切り抜いた画像を、ごちゃごちゃと弄っているうちに、トグロ巻部の背面が出来てしまったということらしい。
このような勘違いをするとは、随分、杜撰(ずさん)な報告だと呆れた。
要するに、「戦前大龍柱には、欄干に連結するホゾ穴は存在しないことが判明」などしないのである。
当然、「戦前大龍柱は、制作当初から、欄干に連結することなく台石上で自立していた」と証明も出来るはずもない。
しかし、勘違いにせよ、背面を確認できる写真があったと思ったのなら、元の田辺泰写真を「誤認されていた写真」として提示しようとするのが普通である。そうしようと思ったなら、ここで自らの勘違いに気付くはずである。
ところが、安里委員の証明の仕方は、「図2:吽形大龍柱のトグロ巻きの展開図」を根拠に「戦前大龍柱(吽形)のトグロ巻部背面にも各面にも、欄干の羽目石・地覆石を嵌め込むホゾ穴や無彫刻部分が存在しないという事実」を明らかにしようとしている。実に回りくどい奇妙なやり方である。
田辺泰『琉球建築』座右宝刊行会 1972年より
安里委員の報告書 p.31「図2」の「背面」とされている両端の写真は二つの画像が合成されている。
「図2」の説明は次のように書かれている。
「・図2は、古写真から作成した吽形基部のトグロ巻き展開図である。各方向から撮影した撮影した写真を接合するとトグロの巻き方が分かる。(昭和修理以後の2枚の写真は撮影アングルがほぼ一致するので合成できる。)」
しかしこの「昭和修理以後」の2枚の写真は、撮影時のカメラの位置、高さが著しく異なる。こういった四角柱に巻き付けられた紐状のものは撮影位置(視点)の高さによって、下図のように、傾きが全く変わってしまう。
こんなことは美術家にとっては常識である。いや、中学生でも透視図法をちゃんと理解していれば、すぐに分かる。
右の透視図で立方体の向かって左側面の二辺(赤い線)を見れば、傾きが変わってしまうのは明らかで、これと同じことなのである。
昭和修理以後の2枚の写真のうち、田辺泰写真の方はかなり下から撮影されており、もう一方の不鮮明な写真は龍の頭部の上面が見えるくらいであるから、かなり上の方から撮影されている。この2枚で合成してはいけない。
さらに、不鮮明の方の写真は田村泰写真に比べれば下の方まで写っているが、隣の昭和修理以前の写真と比べれば一目瞭然、かなりプロポーションが違う。やはり、途中までしか写っていないのである。どこまでしかないか計測したら、およそ85%だった。
その比率で、「図2」のトグロ巻きの展開図を修正したものが下図のBである。
当然、トグロは繋がらない。
この図を作成していて、私は嫌な記憶が蘇った。琉球大学で評議員をしていた時、捏造論文の調査委員会委員を務めたことがある。医学部教員のデータ改竄だったが、その時の資料にあった改竄の画像と同じ行為なのである。
つまり、改竄データから、これが事実であるかのように結論を導き出している。
私は、安里委員の今回の報告は「捏造」と断定できると考えている。
報告書の p.32には、この展開図については、2021年8月3日に報告されたとある。技術検討委員会で共有して、5ヶ月もの間、誰も気付かなかったのだろうか。気付かなかったとすれば怠慢であるし、仮にデータ改竄と知っていて認めていたのなら、この技術検討委員会が捏造に加担していたことになり、大問題である。
琉球新報の記事では、新聞社の、断定的に告発することは避けたいという立場に配慮して、次のような文章にした。
これでは、技術検討委員会の報告が全て信用出来ないものになってしまう。技術検討委員会は、中途の情報を提供しただけで、「捏造」には当たらないなどと弁明するかもしれないが、このような報告をもとに決定された「暫定的な結論」が、もしも、このまま実施されれば、これはもう不正行為そのものである。
(中略)
これまで、何度も指摘してきたが、閉ざされた狭い世界(ムラ)で決定し、論理破綻の「暫定的な結論」を無理に通そうとするからこのような問題が起こるのである。まずは、決定を白紙に戻し、開かれた議論の場を作らなければならない。公開討論会を何度も開くべきであったし、異なった意見の委員も入れるべきであった。委員を任命した沖縄総合事務局は不正行為に発展しないよう、よく監督責任を果たし、問題点を検討し委員会を再編成しなければならない。
まず、行うべきは早期の公開討論会であることは明白である。
「改竄、捏造」が告発された時、大学などの研究機関の対応は明快である。研究の停止、資金の凍結であり、その「改竄、捏造」の疑義に対して調査委員会を設け、その調査結果を待ち、潔白が証明されれば、研究は再開され資金もまた支給される。しかし、「改竄、捏造」が認められれば、当然、研究は停止、資金は没収され、その懲罰について委員会が招集され、処分が決定する。
私は、まずは、この技術検討委員会の不正を県民(国民)に知ってもらうことを第一と考え、現在開催されている県議会では、首里城復興基金事業についての予算審議もなされていることから、まずはこの事実を公にし、県が何も分からないまま予算の計上、執行を行うような間違った判断をしないよう行動したつもりである。そのため原稿は、新聞社の意向も尊重し、かなり抑制した内容にしたが、この「改竄、捏造」は、どのように考えても明白であり、告訴も辞さないものと考えている。
技術検討委員会は、「暫定的な結論」として、こう述べている。
ただし、「御普請絵図帳」(1846年)からフランス海軍古写真(1877年)に至るまでの約30年間において、大龍柱の向き等に変更が加えられたと考えられるので、その経緯や理由を示す説得的な資料および認識が提示されるならば、上記の結論は再検討される。今後の学術的な論議を期待するが故に、今回の決定は暫定的な結論であることを確認しておきたい。
ここだけを読めば、「暫定的な結論」というのは、ルヴェルトガの撮影したフランス海軍古写真(1877年)に基づき、正面向きにしたのだと誰もが思うだろう。そうでなければ、文意が破綻してしまうからだ。ところが、技術検討委員会の「暫定的な結論」は真逆の、相対向きにするというものである。「その経緯や理由を示す説得的な資料および認識が提示され」れば、相対向きの根拠が出来るだけで、ますます正面向きにはならない。このような、とんでもない決定は、論理破綻の、まさに歴史の改竄である。このような立場の技術検討委員会が、「改竄・捏造」を行なってしまったのは、まさに必然というべきものであった。
国の予算(我々の税金)を潤沢に使い、資料は見放題、必要なデータは下部の研究者からかき集め、そこで技術検討委員会が行なってきたのは、自らの「歴史の改竄」を誤魔化すためのデータ改竄、そして、それに基づく捏造報告という、研究者が絶対に行ってはならない不正行為でしかなかった。まさに、沖縄の学術に対する冒涜である。