上村 豊
上村豊さんは、2020年7月10日帰らぬ人となってしまった。まだ54歳だった。痛恨の極みである。
彼は、2006年に琉球大学に赴任してきたので、私は約14年間、同僚としてずっと接してきた。2019年3月に私が定年退職した後、絵画分野を引き継いでもらっていた。
7月11日の通夜には、名古屋からご両親も駆けつけていらっしゃって、遺されたパソコンの中の、撮り溜められていた写真を見ながら彼を偲び、思わず長居してしまった。
翌日はご家族でゆっくりしていただこうと思っていたら、喪主を務めていたパートナーの平良亜弥さんから電話があった。
告別式会場のスタッフの配慮で、会場入り口のスペースで、彼の作品を飾ることができる。研究室から彼の作品を選んで運んでもらえないかという依頼だった。
簡単な事ではないなと思いながら、私は、妻の禮子と二人で主のいない研究室に入った。
彼の研究室の壁には、恩師の榎倉康二のポートレートがあった。榎倉氏も若くして東京芸大在職中に亡くなっている。恩師のポートレートと言ってもそれは若々しい写真だった。
上村さんの作品は、マップケースの中に綺麗に整理収納されていて、予想したよりも作品の選定は困難でなかった。
壁面に展示できそうな「ドローイング・コミュニケーション展」に出品されていた作品と、やはり活動の中心だった「桐生再演」のドローイングを探した。
マップケースの中の「桐生再演」のドローイングを見て驚いた。それはとても美しい水彩ドローイングと写真だった。
上村さんの採用時のポートフォリオでその存在は知ってはいたものの、実際の作品の美しさまでは認識できていなかった。私たちは作品に見惚れ、夢中で選んだ。
やっと運び出すものを選んで、これから告別式会場に向かおうとした時、亜弥さんからLINEがあった。
「あまり無理をせず。無ければパソコン内にある写真をスクリーンに映写してくださるようです」
「とんでもない、大収穫! 」と電話した。声で興奮が伝わったようだ。
夕方、会場に着き、作品を広げると、ご両親も喜んでくださった。「桐生再演」のドローイングや写真作品、資料などを置くテーブルも調達していただき、急な対応にしては、なかなか良い展示が出来たと思っている。




8月2日に Library & Studio #504 二階アトリエの引越し荷物の整理をしていたら、2011年前島アートセンター解散シンポジウムの時に、上村さんが作ってくれた、Single Malt Tasting Bar Maejimaの全案内ハガキを印刷した大垂れ幕を発見した。一階入口正面のブロック壁に貼り付けてみた。なかなかに壮観である。
上村さんが赴任したのが、ちょうど私が副学部長に指名された頃で、前島アートセンターの理事を続けるのが難しくなり、上村さんに交代して引き受けてもらった。
2011年の解散シンポジウムまでの6年間、本当に前島アートセンターのために尽力していた。解散シンポジウムでの資料整理の奮闘ぶりなど今でも目に焼き付いている。
7月13日の告別式でも、コロナ禍で参加の叶わなかった人たちの弔電に桐生での活動で本当に上村さんにお世話になったとのお礼の言葉が溢れていた。桐生でも沖縄でも上村さんはずっと人のために尽くしてきたのだろう。
8月4日にこの大垂れ幕のことを亜弥さんに報告したら、田中睦治さんからメッセージをいただいたと返信が来た。
東京芸大油画第2研究室の方が中心になり、榎倉康二先生の奥様が開いている東京のギャラリーSPACE23°Cで上村さんの追悼の展覧会を行う計画があるとのこと。思わず、研究室のポートレートが目に浮かび、胸が熱くなった。
2020年10月10日から上村展実行委員会に参加している。当初は、上村さんの一周忌に展覧会を開催するつもりだったが、新型コロナ感染症の蔓延で予定が何度も変わり、今は、2022年6月17日から7月10日まで、金・土・日開廊の12日間の日程を予定している。
ほぼひと月に一回開いているZoomでの実行委員会会議は、東京時代の上村さんのことや周りの方々のこと、桐生での活動、その前身であった白州での活動のことなど、具体的な展覧会準備はなかなか進まないものの、上村さんを「識る」ための大切な時間である。
また、田中睦治さんと亜弥さんが上村作品の写真撮影を行い、その隣で、私が上村研究室の図書の整理を行うということも数ヶ月続けている。
いずれも、上村さんと対話しているような時間だ。

芸大大学院時代の上村さん(前列左端)その横に榎倉康二氏。四尾連湖にて(長橋秀樹撮影)
SPACE23°Cでの「上村展」開催に向けた準備の中で
私のホームページに上村豊さんを取り上げることについては、いろいろ考えることがあった。
実行委員会で上村さん追悼の展覧会を行うことを話し始めた初めの頃には、Facebookなどで展覧会について情報発信することも話題に上った。私のHPもそのような役割を担えるかもしれないと考えたこともあった。
しかし、「FOCUS」で取り上げた他の方々のページを作るうちに、私はこの方々とのこれまでの関わり(展覧会で作品を観たり、お宅にお邪魔したり、研究について意見を交わしたり)を通して、自分自身の思索を深め、更新しているのだと気付いてきた。この方々との出来事を思い出し、それについて改めて考えてみることは、実に豊かで温かい気持ちになれる時間だった。
上村さんの遺された仕事については、いずれ沖縄でまとまった形で展覧会を開催することを夢見ている。それまで(もしかしたらその後も)このHPで上村さんと語り続けていけたら…、と思う。
おそらく、とりとめのない記述になるだろうが、まずはSPACE23°Cでの「上村展」開催に向けた準備の中で気付いた事柄を書き綴っていこうと思う。
受験生時代の上村さんのこと
Episode 01
田中睦治さんが上村さんの受験生時代、河合塾での先生だったこともあってか、Zoom会議では、受験生時代の話もよく出てきた。日比野ルミさんは、高校の同級生だったので「上村くん」と呼ぶ。その日比野さんから「上村くんの浪人時代のデッサンが見たい」というリクエストがあったので、私がスマホで撮影して送った。(ちゃんとした写真は田中睦治さんが撮影している)
ここまで描けないと入学できないのかと呆れるほどの超絶技巧の受験デッサンと一緒に、少し異質な、厚紙に描かれた蝉の作品があった。
もちろん上手すぎるほど上手いのだが、私が知っている沖縄での上村さんの感覚とほぼ同じものを感じる。これが受験生時代のものだったのなら、もう、こんな感覚が備わっていたのか…。別の意味で凄い。

skskトークのDVD
Episode 02
上村さん出演の「skskトーク04」(2013年7月14日)のDVDを石垣克子さんが提供して下さったので、実行委員会のメンバーで共有した。(2021年5月頃)
トークの中で、上村さんは、この時 sksk で行われていたdraw2展に出品していた「緑の鉢」シリーズのコンセプトについて次のように語っていた。
「緑の鉢」ドローイングのコンセプト
「緑の鉢」というのは、吾妻公園温室プロジェクトという、もう10年以上前に始まった、1997年からなので、20年近く前に始まったものから、モチーフとしてはずっと続いています。
このsksk draw2 展に展示している、右端の作品が一番古いものですが、あれも「桐生再演」で吾妻公園温室プロジェクトが終わったずいぶん後の2005年くらいに京都で開催した「庭に水を遣る」という展覧会の時の直前に描いて、あれを描いたときに初めて「緑の鉢」というタイトルを付けたのです。
鉢が並んでいる状態のドローイングを、なんか、たどたどしく描いたんですけど、単純な事ですけど、鉢と鉢の間の形も鉢なんだなと思ったんです、その時ね。
もともとは隙間として緑を塗っていたんです、抜ける空間として。でも、あっ、こっちが鉢だなという気がしたんです。絵を描いているときに。
「緑の鉢」というのは、緑が植わっている鉢じゃなくて、隙間の緑の方が鉢だよって意味なんです。そのちょっと逆転しているようなものが、自分の制作のひとつのモチーフ。
さっきの「吾妻公園プロジェクト」の、鉢を温室から移動する。温室は空っぽなんですけど、そこにあったものは、どこにあるかは分からないんだけど、普通の街の中に並べられているはず。
というようなことと、絵として逆転しているようなことが噛み合って、ドローイングのモチーフとしても「緑の鉢」というのが出てきたということです。
時が移って沖縄に来て、去年のドローイング展に出すということで、全然違う動機で描いていたんですけど、作っていたら、また鉢が…、無意識にというか多分意識しているんですが、そういう形に見えてきた。
これは、作っている本人にとっては凄く面白いことですけれども、そういう面白さを、普通のドローイングの形として見せられないかなというのが、この「緑の鉢」シリーズのドローイングの基本的なコンセプトです。



DM案の話し合いをきっかけに考えたこと
Episode 03
昨日のZoom実行委員会で、やっと展覧会に向けての具体的な内容の検討に入った。(2022年3月13日)
6月17日からの会期、11日、12日の搬入展示なので、さすがにもういろいろ決めていかないと間に合わない。
展示のプランについては、長橋さんと景山さんが提案して下さった内容をベースに、沖縄側4名で1週間前に集まって決めた提案がほぼ了承されたので、これから個々の作品選択に入ることになる。
DMについても話し合い、日比野さんが印刷原案を担当してくださることになった。使用する図版は右の「路地の構造2004」の写真になった。
この話し合いの中で、田中睦治さんは上村さんの遺したポートフォリオの「主作品について」に書かれた内容から、この写真を推薦した。そこに書かれていたのは以下のようなものだ。
通 トオリ
表 オモテ
角 カド
内/家 ウチ
庭 ニワ
街の構文を読み取りたい。そして、その文法を捉えたいのだ。
そんなことを考えながら歩き回っているのだが、私の眼前に現れるのは個々の事物と風景や「ものがたり」ばかり。それらは「街」と私の意識との間で反射を繰り返すばかりで、「私」の入り込む余地などこれっぽっちもないのだ。
私の求めているのは、例えば翻訳者、2冊の国語辞典を携え、その2ヵ国語の間に引き裂かれる、翻訳者の身体(からだ)なのかもしれない。
この文章を読んで私は、ジュンパ・ラヒリの『べつの言葉で』を思い浮かべた。不自由さを逆に創作の源泉にしようとする意思に、共通する美しさを感じたからではないかと思う。


「庭に水を遣る」2005年の作品について
Episode 04
3月16日に琉球大学に四人が集まり、13日のZoom会議の内容を確認して今後の作業予定を話し合った。その後、まだ撮り終えていなかった作品の撮影を行った。
この日撮影したのは、先日沖縄側から追加展示を提案した、2005年京都のギャラリーそわかで開かれた個展「庭に水を遣る」の出品作だった。
skskトークで上村さんが語っていた「緑の鉢」シリーズのドローイングが含まれていて、この後、2010年のドローイング・コミュニケーションにも出品していた水彩4点を23°Cでも展示すれば良いのではないかと、話し合いながら撮影した。
私は、「sksksトークのDVD」での上村さんの発言〈「緑の鉢」ドローイングのコンセプト〉から、そこで話されていた「右端の作品」は、シリーズの中で一番シンプルな、横一列に三つのピンクの鉢が並び、間に出来た二つの空間が緑の鉢になっている作品だと思ってその図版を掲載した。
でも、亜弥さんに「主催者の石垣さんに会場写真が残っていないか聞いてみたら」と言われた。確かに、それなら間違いない。
この個展には、「緑の鉢」シリーズの水彩ドローイングの他に、「窓」シリーズと「グラス」シリーズの水彩ドローイングの他に、やや小ぶりのスケッチ5点と「鉢の配置についてのエスキース」12点組がフロッタージュ作品とともに展示されたようだ。
上村さんの遺したポートフォリオには「主要作品一覧・概要」にこの「庭に水を遣る」について次のような記述がある。
3月から4月にかけ、桐生森芳工場に滞在して制作をおこなった。同施設の庭をモチーフとした連作。放置された踏み石や庭石、井戸の櫓などを題材にフロッタージュを行い、また、庭の風景を描いた水彩によるドローイングなどを制作。展示会場に再構成した。いわゆるホワイトキューブでの展示は、初めてに近い体験で、固有の「場所」をテーマにした作品をどのように移行して展示するかで苦労をした。
しかし、ポートフォリオの図版のページには、「鉢の配置についてのエスキース」12点組は2002年制作とあった。このエスキースは写真が小さくてあまり気にかけていなかったのだが、今回の撮影でしっかりと見ることができた。
このエスキースの一枚には、「庭におけるインスタレーション 緑の鉢」とはっきりと書き込まれていた。
つまり、skskトークで「2005年くらいに京都で開催した『庭に水を遣る』という展覧会の時の直前に描いて、あれを描いたときに初めて「緑の鉢」というタイトルを付けた」というのは、本人の錯覚だったのか、あるいはインスタレーションのエスキースへの書き込みであって「タイトル」ではないということなのだろうか。
どちらにしても、すでに2002年、「路地の構造2002(山の温室/街の倉庫)」の頃、「緑の鉢」という概念はすでに存在していたということになる。
さらに興味深いのは、このエスキースの「「庭におけるインスタレーション 緑の鉢」の上にある図には「鋸屋根 空の鋸屋根」と書き込まれている。どちらもが、物と空間の関係、空間の方も物と同様のものであるかのように「視る」という概念が明確に表明されているのだ。
私は、この「鉢の配置についてのエスキース」からも数枚、23°Cの展示に加えたくなった。




draw 2 での展示作品が判明
Episode 05
石垣克子さんが、draw 2 展の会場写真を送ってくれた。よくぞ、探し出してくれた。そして、この写真は私にとっての「意外」に溢れている。
まず、右端の2点である。skskトークで語っていた2005年の作品は、この2点だった。京都のギャラリーそわかで展示されていた「緑の鉢」水彩ドローイングの5点のうち、実に意外な2点の選択だった。
私の予想していた作品は、最もシンプルな横一列の作品だった。次に、もしかしたらこちらかもしれないと思っていた作品は「窓」シリーズと一緒に展示されたものだ。その2点を右に示そう。おそらくこの2点は「緑の鉢」水彩ドローイングの2005年作品の最初と最後だと予想している。
2013年の draw 2 展に、最もコンセプトが明快な最初の作品と、最もそのコンセプトを展開したであろう最後の作品を出品せず、中間的な2点を選んだのは何故だろう。
次の「意外」は、この2005年の2点の「緑の鉢」ドローイングの展示方法である。このドローイングは、茶色のクラフト紙を台紙にしていて、draw 2 展では、そのクラフト紙の台紙のまま直に壁に展示していた。
特に上のドローイングの台紙は、端がちぎれたような状態である。上村さんの研究室のマップケースから、この状態で見つけたのだが、まさかこのまま展示したとは思っていなかった。
それは、2010年のドローイングコミュニケーション展(沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館)で展示されていたときには、大きなカルトンにこのクラフト紙の台紙ごと4点が配置された展示方法だったからだ。
クラフト紙のちぎれたような状態や、不揃いな感じを同系色のカルトンに収めることで目立たなくしているものと思っていた。
東京のSPACE23°Cでの展示では、白い壁にこのクラフト紙の台紙は目立ちすぎるので、ドローイングのみにするよう台紙を剥がせないか話し合っていたくらいである。
上村さんは、そんなことは気にしていなかったようだ。
沖縄に来てからの「緑の鉢」ドローイングの右の作品は、このskskでの draw 2展の後、2013年のドローイングコミュニケーション展(沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館)で展示されていた。
同じ作品なのだが、違っている。
緑っぽい矩形の縦横比が違っている。一瞬、別作品なのかと思ったが、よく見比べれば同じ作品である。
上村さんのこの頃のドローイングは、一旦、線や水彩での着色の後、横に長い帯状に作品を切り、左右に交互にずらしながら張り込んでいく手法をよく行なっている。線は、大工さんが墨壺で材木に墨付けをするように藍色の絵の具で線を施すことが多い。実際の制作現場を見たわけではないが、おそらく藍色の絵の具に浸して絵の具を染み込ませた糸をピンと張り、それを摘み上げて手を離すとこのような墨付けのような表情の線を得られるのだろう。少し滲んだような線の周りにかすかに絵の具が散っている、ニュアンスに富んだ線である。このため、帯状の着色された紙片はひとマスごとに左右にずらされて、まるで編まれたかのような厚みを感じさせるイリュージョンを生んでいる。
さらに、この帯状の紙片の元になる着彩を施すとき、その紙の下に水彩紙を置き、四方にはみ出した筆跡を作品として活かしている。
つまり、sksksの draw 2 展で出品した状態は、帯を5本貼らない状態だったのである。
私は、この draw 2 展の状態が絵画的な感じがして、かつ、システムが分かりやすくて好きである。何故、この後のドローイングコミュニケーション展では、全ての紙片を貼ったのだろう。才気に走りすぎるのを抑制したのだろうか。
この時に上村さんは何を考えていたのだろうか、想像は無限に膨らみそうで実に楽しい。

draw 2 展での上村作品 (石垣克子撮影)


私が予想していた2点
実際に 展示されていた2点



2010年ドローイングコミュニケーション展での展示

「緑の鉢」(2012-2013年)2013年skskの draw 2 展での展示

2013年ドローイングコミュニケーション展での展示
SPACE23°C(東京展)の展示作品を選ぶ
Episode 06
4月4日、5日に沖縄の実行委員会メンバー4人が集まって、展示作品を選んだ。507室の上村さんが教室を仕切るために立てた壁面がちょうど良い大きさだったので、ここに順番にギャラリーの各壁面ごとに仮展示しながら選んでいった。
ギャラリーに入ってすぐ左手の第一壁面(D壁面:2.7m)に、2005年「庭に水を遣る」(京都ギャラリーそわか)の作品を展示することは予め決めていたので、その中のどれにするかを話し合った。
水彩ドローイングは、やはり、skskで本人が選んで展示していた2点にして、「鉢の配置についてのエスキース」(2002年制作)の12点から8点を選んだ。
次の第二壁面(E壁面:2m)には、上村さんの遺したポートフォリオのA4サイズのページを4枚、〈無題(自宅・浴室におけるインスタレーション)1989年〉〈無題(両国駅構内におけるインスタレーション)1993年〉〈無題(桐生市有鄰館の扉への制作)1994年〉〈園六織物工場の9日間 1995年〉に決まった。
A4版を4枚の展示だけでは寂しいかと当初は思ったが、インスタレーションの写真に力があるので4枚で綺麗に纏まっていた。D壁面に奥行き60cmの資料台を壁面の端から端まで設置してもらうことにしたので、これ以上展示するのは厳しいだろう。
ギャラリー正面になる第三壁面(A壁面:4.8m)には、〈吾妻公園温室プロジェクト〉と〈路地の構造〉を中心に選ぶことを決めていた。
1997年のドローイングには、〈「吾妻公園 温室プロジェクト」プランドローイング〉とそれ以前のものと思われる〈プランドローイング(桐生市 水道公園・観月亭におけるインスタレーション〉の二つのシリーズがあった。
両方とも魅力的なドローイングばかりだったのだが、今回は「吾妻公園」に絞って展示することに決めた。1997年(桐生再演4)のものは、ポートフォリオからの2枚とドローイング11点にした。1999年(桐生再演5)のものは、ポートフォリオから1枚、水彩紙のドローイング4点にした。
その右に(今回の仮展示では壁面の4.8mがとれなかったのでここでは右壁面)〈路地の構造2002(山の温室/街の倉庫〉、〈路地の構造2004〉それぞれポートフォリオから2枚ずつを選んだ。
第四面(B壁面:4m)には、「NEWS 2002」展(東京藝術大学大学美術館・付属陳列館)で展示された〈路地の構造ドローイング展示 2002年〉の大型カルトンをそのまま展示することに決めていた。この壁面には、この大型カルトンが収まるよう幅171cm、奥行き10cmの棚を設置してもらう。B壁面とC壁面の角にはモニターが設置され、「skskトーク04」が放映される。〈路地の構造〉のドローイングと関係がありそうな写真(両掌を広げている)を展示することも話題にあがったが、大型カルトンの横では違和感があり、何か違った意味まで出てきそうなのでやめにした。
最後に、第一壁面(D壁面:2.7m)に設置してもらう資料台の上の展示を相談した。当初は、『うみしまノート』や上村さんが沖縄で著した論文の掲載された冊子、装丁を上村さんが担当していた琉球大学附属図書館発行の「びぶりお文学賞」の作品集1〜13号なども展示したいと思っていたが、いざ並べてみたら、桐生再演のカタログだけで一杯になり、両国のリーフレットだけを加えることにした。
展示作品の選択は、かなり難航するのではないかと予想していたので、この後、11日と12日も確保していたのだが、意外にもすんなりと2日間で決めることができた。1年半、毎月話し合ってきたから、四人の間で意思の疎通ができていたからだと思う。
新型コロナ感染症蔓延の期間に、ポートフォリオと吾妻公園温室プロっジェクト冊子を直接手に取って見ていただくことが出来ないので、会期中YouTube配信するビデオを吉田先生と制作した。
当初は、ページターンのエフェクトを使って編集したらどうかと考えていたが、亜弥さんのアドバイスで、実写で良いのではないかということになった。
展覧会終了まで期間限定で、このHPにもビデオをアップするのでご覧いただきたい。






上村豊 ポートフォリオ
全て荷造りして送ったはずだったが…
Episode 07
5月23日から作品の梱包作業を始め、27日に2個口の宅急便で、静岡県の長橋さん宛に送り出した。作品は大型カルトンにまとめ、復路まで耐えられるようプラダンで荷造りした。2日後、富士山を背景にした美しい写真と共に「無事到着」のメッセージが届いた。これで一安心。あとは、6月5日(日)に最後の上村豊展実行委員会Zoom会議で確認作業をして、11日(土)の飾り付けのために東京に行くだけだと思っていた。
ところが、6月2日(木)。最近、毎週木曜日には、沖縄県立博物館・美術館で内間安瑆の作品を閲覧させてもらっている。そこに、LINEの着信音が立て続けに鳴り、何事かと思って見たら、亜弥さんからの興奮気味の文面。
なんと、これまで探していたのになかなか見つけられなかった、skskで展示された「緑の鉢」2012-13年の2点が見つかったという連絡だった。
石垣克子さんは、現在、琉大で上村さんが担当していた絵画の授業の非常勤講師をしてくださっているが、その授業を行なっている507教室の入り口ドアの横に置いてあったのを見つけたらしい。
しかも、このタイミングで!
まるで、「おーい。これも持って行け!」って上村さんが言っているみたいだなと思った。
そのうえ、送ってくれた写真は、なんと帯を5本貼っていない状態。
〈私は、この draw 2 展の状態が絵画的な感じがして、かつ、システムが分かりやすくて好きである。何故、この後のドローイングコミュニケーション展では、全ての紙片を貼ったのだろう。才気に走りすぎるのを抑制したのだろうか。〉
以前、こんなふうに書いていた。つまり、skskのdraw 2 展の方がドローイングコミュニケーション展の後だったのを間違えていた。
これについてのエピソードもありそうというので、後から石垣さんに連絡しようと思ったら、石垣さんから先にLINEが来た。〈ドローイングコミュニケーション展は会期が2013年5月15日〜19日、skskのdraw 2 展は6月29日〜7月20日。〉
沖縄県立博物館・美術館から帰宅し、早速、LINEで返信した。
〈507室で「緑の鉢」が見つかったことは亜弥さんからも連絡がありました。そして発見の写真も! それを見たら、下5列が外れた状態(私の好きな状態)だったので、二度ビックリ。でも、私が展覧会の開催順を間違えていたのですね。辻褄が合いました。
ところで、なぜ外れたのか(外したのか)もう少し詳しく知りたいので、電話してもよろしいでしょうか? 〉
電話で確認したところ、意図的に外したわけではなく外れてしまったよう。
draw 2 展のDMに上村さんの作品写真を使おうと思って、撮影に行ったら、外れてしまっているのを目撃したらしい。
この状態を良しとしてその外れたままでdraw 2 展に出品したのは間違いないにしても、これを肯定的に捉えていたのか、修復するには問題があったためなのかははっきりしない。
今回発見したフレームの箱の中には、その5本の帯も入っていた。あいにく白蟻が入ったらしく数箇所は汚れ欠損していた。
でも、skskの展示の時には、それほど傷んでいなかっただろう。私は、上村さんが「この状態もまた良し」以上に、こちらの方が良いと思っていた(つまり、私の価値観と近かった)と信じたい。
6月5日、上村豊展実行委員会Zoom会議では、結局、2点とも搬入し、どのように展示するかは、搬入当日、現場にいる人に任せてもらうことになった。
翌日の6日にまた、プラダンを使って梱包し、長橋さん宛に送った。今度の梱包は、結構可愛く出来上がって、気に入っている。
